幸子さん
幸子さん
もうすぐ78歳になろうかとする幸子さん。
読み方はさちこさんです。ゆきことも読めますね。私たち姉妹がゆきことさちこなのでなんだか親近感。
幸子さんは島生まれ島育ち。生粋の飛島人です。
訛りも強くて、東京出身のりょんりょんは聞き取りに苦戦していました。
「なぜ島を出なかったのですか?」と聞くと、「早くに小飛島の方からお婿さんをもろうたけえ、出る暇もねかった。」そうです。
飛島の昔話。
高度経済成長の波が島にもやってきました。
昭和42年12月 電気
昭和55年 水道
昭和48~59年建設 はちまき道路(島の集落同士をつなげる道路)
【井戸の話】
水道が通る前の水源は井戸でした。
今は使われていない幸子さん家の井戸
4,5軒に1軒は井戸持ちの家。「井戸を持っているお家なら嫁いでもいいかな」ということばが出るほど井戸は大事。洗濯するにも炊事するにも掃除するにも井戸は要りますから。
【もらい風呂の話】
水をためて、炊いてお風呂に入ります。順番に入るのですが、流れていく水は垢とともに再度溜め、次入る人に再利用。どんどん垢はたまり、最後の人はどろどろの水。それでもありがたかったらしいです。ご近所さんのお風呂をもらうのがもらい風呂。これは、借りる方はもちろんお風呂にありつけて嬉しいし、貸す方ものちのちに肥料となる垢がたくさんとれてうれしいという、win-winな関係だったらしい。このもらい風呂が昔の島の交流の場だったそうです。
【うどんのルーツ】
昭和10年台まで島では小麦がとれたそうです。それが今のうどんを振舞う風習のルーツ。島ではチラシ寿司みたいなポジションでうどんが振舞われるのです。
ただ、島の小麦のうどんは黒くて、当時の子供には不評だったそう。笑
【島の不便さ】
はあまり感じないそうです。
「病院と散髪がちょっと不便じゃけえど、別に急ぎの用でもねぇし。」
昔に比べたら楽。
幸子さんは
人がいなくなって島がなくなってもそれはそれでしょうがない
といいます。
「しょうがない。」のでしょうか…。